ある親友の日記に触発され、僕も昔のある「出会い」について書いてみたくなりました。前回に続いて台北に住んでた時の話。
当時(今でもそうですが)僕はジャズにはまってて、台北にもジャズの店があることを知り、通ってました。普段はジャズのCDがかかってる喫茶店って感じでしたが、金曜の夜ライブがあり、僕は毎週それを楽しみにしてました。
そんなあるライブの夜、店は満席。相席でいいかと聞かれ案内された小さなテーブルの向かいに座っていたのが少し年上とおぼしき男性。ずいぶん昔のことでよく覚えてないけど、確か彼の方から声をかけて来て、話し始めた。
彼はドイツ生まれでアメリカ育ちの台湾人。本名は中国語だけど愛称で"Andy"と呼んでました。両親が台湾の人だからもちろん中国語はしゃべるのだけど、英語の方が楽だそうで、僕らの会話は8割英語、2割中国語って感じ。お互いジャズ好きで、語学や異文化に興味があり、英語と中国語を共有できるってことで意気投合し、ライブが終った後も店で話し、更に彼の行きつけの広東料理の店に行き、結局朝の4時ぐらいに別れた。
彼は自分で経営している塾で英語を教えているほか、大学で教えたり、英字新聞に記事を書いたり、教科書の出版をしたりと、ものすごく忙しい人で、会うのはだいたい夜遅く、どこかで食事しながら日付が変わるまで話し込む事が多かったかな。音楽の話、語学の話、、、、映画の話は僕があまり知らない上に彼の知識がすごすぎて全くついていけなかったが。とにかくバイタリティ、行動力があっていつも前向き。「忙しくてイヤになることもあるけど、文句はいわない。自分が好きでやってるから。」そんな人でした。
台北に2年いた間、会った回数は多くなかったけど、なかでも忘れられないのが彼の塾に呼ばれたときの事。僕はてっきり忙しいから待ち合わせのために仕事場まで来てほしいって意味だと思って行ったんだけど、着いたら彼は出てこず、スタッフの人に案内されて入った部屋は、、、彼が授業をやってる最中の教室。彼は「友達を紹介するよ。」と言って、僕に生徒たちに向かってしゃべらせた。もちろん中国語で。何をしゃべったんだか全く覚えてないけど、「ほら、外国語ってのは勉強したらこれぐらいしゃべれるようになるんだよ」と彼。焦りましたよ、それならそうと先に言ってよ(笑)。
そんな彼とは帰国後日本で何度か会った後、お互いの転居などで連絡がとれなくなったままで困ってるんですが、最近ネットで彼を見つけ出しました。今のMac OSは標準で各国語の入力プログラムが入っていて設定すれば中国語入力ができるしブラウザも多分Unicodeの恩恵なんだろうけど中国語が問題なく表示される。彼は新聞や教科書の執筆もしてたからWEB上に名前があるのではと思って検索してみたら「塾の名物教師が、映画監督に」と言う記事で、写真も間違いなくその人。そうか、彼は昔から語っていた「夢」を現実にしてしまったわけだ。
何とか連絡を取って、積もる話をしたいのだけど、、、、。
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